メタボリズムを提唱し、1987年にプリツカー賞を受賞した。20世紀を代表する建築家の一人である。
ソビエト宮殿の図面を見たのをきっかけに建築家を志した。東京大学に進学し、岸田秀人、内田祥三に師事した。
1949年、広島平和記念公園の設計コンペティションで優勝した。
叔父が亡くなるまで中国で育てられ、その後日本へ帰国。息子のポールも建築家である。
若い頃にル・コルビュジエの影響を受けた。