人物
公民権運動家。人権運動のファースト・レディとして知られている。1955年バスの席を譲ることを拒否して逮捕される。この行為が引き金となり、伝説のモンゴメリー・バス・ボイコット事件が起こる。同事件が、国内の人種隔離政策を終わらせる切っ掛けの1つとなった。
有名になる前
自身の母校モンゴメリー工業学校は、人種差別主義者の放火により2度燃やされている。
トリビア
彼女の名誉により、誕生日の2月4日と、彼女が逮捕された12月1日の二日をローザ・パークス・デーとして祝われている。
プライベート
1932年、全米黒人地位向上協会所属の理容師、レイモンド・パークスと結婚する。
関連
人権運動のリーダー、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアと共に活動した。